上田貞治郎写真史料アーカイブ編纂室
Ueda Teijiro Photo-Materials Archives
※以下の記述は旧・大阪市立大学 都市研究プラザGCOE事業期間中のものです。現在は大阪公立大学 都市科学・防災研究センターに引き継がれていますので以下のページをご覧ください。
-> UReCアーカイブズ
「上田貞治郎写真史料アーカイブ編纂室」は、20世紀初期写真業界の領袖で、古写真蒐集家であった旧上田写真機店社主上田貞治郎(1860-1944)が遺した、数千点の文書史料と写真史料で構成される「上田貞治郎関係史料」「上田貞治郎全国名所写真貼コレクション」を整理・調査分析しています。これらは、大阪府泉北郡諏訪之森駅前の上田貞治郎本宅一階に設置されていた基督教史料・写真史料のアーカイブ「上田文庫」の旧蔵品でした。
上田貞治郎 明治20年
編纂室員
- 後藤 真 情報歴史学・史料学
- 緒川 直人 写真史・写真史料学・植民地京城研究
- 水谷 清佳 民族芸術学・植民地京城研究
散逸史料も少なくありませんが、一例を挙げれば以下のような史料群で構成されています。
植民地朝鮮を含む旧帝国日本の領土にほぼ対応する景観写真史料群約1800点を集成した「上田貞治郎日本全国名所写真帖コレクション」アルバム20巻(アマチュア写真家野々村藤助アルバム、光村利藻作品アルバムを含む)、「上田貞治郎撮影 都市大阪ネガフィルムアルバム1927-1928」、区画整理で変貌する直前のキタ界隈を活写した「梅田界隈都市写真シリーズ 1935」29点、「上田家家族及名士写真帖」(明治20年代)、アマチュア写真家「丹生喬翠作品アルバム」2冊、「明治四十三年 朝鮮巡遊及朝鮮各地第三」アルバム、日記、覚書・書類群、実逓絵葉書史料群、写真書籍・写真雑誌群、ネガフィルム・写真プリント・硝子乾板群などです。
中之島大阪ホテル明治35年
昭和30年代末頃、上田家では相当の史料を処分しており、上田写真機店の経営関係史料群や貞治郎関係の書簡史料群、大正年間の日記群、貞治郎がかつては所蔵していた古写真蒐集家和田奈良松旧蔵の硝子湿板写真群が散逸しています。現在、「上田貞治郎関係史料」は目録編纂作業中であり、未整理の文書史料群は当面非公開ですが、写真史料群については構築中のデジタル・アーカイブや出版物を通じて漸次公開予定です。
編纂室は、上記の膨大な史料群を研究素材として、日本写真史学への貢献のみならず,学界未踏の新領域である「写真史料学」の構築や,新たな「写真の歴史学」の開拓に挑戦しています。
編纂室の研究紹介
1.「古写真蒐集家の世界」の都市社会史・写真史料学的研究――緒川直人
古写真蒐集家上田貞治郎による「日本全国名所写真帖コレクション」20巻の形成過程と、それを可能にした1920年代の都市社会の編制を史料学、日本写真史学、社会調査論、歴史地理学、都市社会史の交叉点から,「写真史料学」の問題として解明していく作業に取組んでいます。
上田写真機店卸部本店
具体的には、明治初期の写真販売舗の動向,1920年代都市に胎動し始めた「古写真蒐集家の世界」を紡ぎあげる社会的結合(古書肆・自治体史編纂室・蒐集家・元写真師・写真史家・新聞産業など)の諸相、「アルバム史料論」の誕生、古写真アーカイブとしての上田文庫の誕生と社会的利用(上田ブランドの成立と文化資源化)、日本写真史学の誕生の経緯などが、考証の主題です。
以上の作業を通じて、従来の日本写真史学が見逃してきた「写真経験の都市社会史」、「写真史料学」という新ジャンルを提案し、さらに歴史学と日本写真史学を学際的に融合させた「写真の歴史学」という新たな問題系/方法論の地平を模索したいと考えています。
2.「上田貞治郎写真史料アーカイブ」の情報歴史学的研究――後藤真
今までの多くの古写真データベースは、あくまでも単体の写真史料を中心としたものでしかありませんでした。日本のみならず、世界レベルでも同様の傾向をもっています。そのため、メタデータを含め、アルバムを含めた史料構造を忠実に反映し、表現することなどを通じ、写真を複眼的・構造的に見るためのデジタル・アーカイブズを作成し、写真史料学への貢献を目的としています。史料構造に即したデータベースを作成することによって、写真史料学研究の状況を見渡し、かつ関連諸学・関連諸国との連携を深めることのできるデータベースを構築するものです。
「上田貞治郎日本全国名所写真帖コレクション」より
《梅田駅》
3.「上田写真機店京城支店関係史料群」の研究――水谷清佳・緒川直人
上田写真機店は明治30年代末期から植民地京城に支店を設置していました。そうした背景から、「上田貞治郎関係文書」からは、「上田写真機店京城支店関係史料群」(アルバム、ネガフィルム、日記、実逓絵葉書など)として再分類できる一群の史料群を析出できます。水谷と緒川は、上記史料群の調査研究のために「上田写真機店京城関係史料研究会」(外部非公開)の月例会を開催してきました。
上田写真機店
京城支店
研究会は、2008年8月から2009年3月現在まで7回を数えます。研究会では、上田貞治郎のライフヒストリーと植民地京城の都市社会との関係を探りながら、上田写真機店京城支店や植民地朝鮮の写真業界と上田写真機店大阪本店の関係を考証しています。
当座は、「上田貞治郎日記」や実逓絵葉書史料群の講読と解釈、さらに貞治郎の実兄で、京城南大門前で京城写真館を開業していた野々村藤助家の関係史料の講読をおこなっています。(野々村藤助については、編纂室員緒川の論文「アマチュア写真家野々村藤助と明治30年代写真史の再検討-初期大阪写壇を中心に―」(『文化資源学』5号、2007年)を参照ください)
野々村藤助の自筆葉書
研究会で得られた知見や情報は、「上田写真機店と植民地朝鮮・京城 since 1906」に記録し、データ管理しています。
「朝鮮 COREA」アルバムより《京城南大門》
今後は、「上田写真機店京城支店関係史料群」の仔細な写真図録の編纂作業も視野におさめつつ、綿密な考証作業を継続していく予定です。また、上田貞治郎日記から判明した京城帝国大学法文学部や朝鮮博覧会と貞治郎の関係についても、調査研究の必要を感じています。
「上田写真機店京城支店関係史料群」の考証から、日本写真史学、韓国研究、植民地研究では未開拓の「植民地写真史研究」の地平を展望することが目標です。
戦前期入江泰吉のオリジナルプリントと落款を発見
2009年3月14日付『読売新聞』朝刊(大阪本社版)に、編纂室員緒川と後藤が上田家史料調査のなかで、世界的写真家入江泰吉の戦前期オリジナルプリント1点を発見したニュースが報道されました。戦前期入江作品や関係文書は文楽シリーズのネガをのぞき、昭和20年3月13日の大阪空襲ですべて焼失したとされており、戦前期に入江が紙焼きしたオリジナルプリントは知られていませんでした。今回、編纂室が新発見した戦前期入江作品は、焼失をまぬがれたネガフィルムに映像が残されており、映像自体は従来から知られていました。
新発見の戦前期入江泰吉
オリジナルプリント
《妹背山婦女庭訓お三輪》
しかし、入江が戦前期に焼付けたオリジナルプリントとしては、初めて発見された史料です。また、発見された印画紙の裏面には戦前期の光藝社時代に入江が使用していた落款が押印されており、「南区鰻谷仲之町」の店舗所在地と名前を刻んだ落款は、戦前期入江研究の新史料となるものです。
戦前期入江泰吉作品の落款
戦前期の入江泰吉と上田写真機店との関係については、編纂室員緒川の論文「戦前期の入江泰吉と光藝社」 [pdf, 720KB] を参照ください。
地域のみなさまへ
明治初期から戦前期まで、大阪府大阪市南区横堀7丁目で営業写真館を経営していた古写真蒐集家の和田奈良松氏、和田猶一氏のご遺族、ご家族をご存じでしたら、上田貞治郎写真史料アーカイブ編纂室(緒川)までご連絡ください。